あれ以来、何日も胸の奥の所で何か引っ掻かれる様な、カリカリしたものが俺の中で動いている。
苦しくて切なくて、でも、どこか心地良さにも似た何とも形容しづらいもの。 時に強く、時に弱く…俺の中で動いている。 この感覚は、たぶん前からあるモノだ。 「それ、恋じゃねぇの」 品田は、一言で言うが、そうじゃない。そんなモノであるハズがないんだ。 「じゃぁ、変なんだよ」 ニヤッと笑って言い返される。 似ているケド、違うモノ…字面の差じゃないかと、言えばそれでお終いだ。 確かに好きだ。…嫌いではない。 でも、違う。歳の差だってある。第一、俺は男なんだし。なんて…打ち消せば、消すほど追い込まれる。 先生を意識しないでいられ無いほどに。 いっそ、好きだけじゃダメなんだろうか? クソッ!その方が、すっきりする。 これは、抵抗なのか、諦めなのか…俺の中でもわからない。 ただ言えるのは…好きだということには、変わりない。 これ以上、考えられないと、頭を一つ振って思考の波から浮上する。 「おい。瀧本!」 「あ?」 振り返ると俺の頭痛の元…当の品田が声を掛けてきた。 「調子、悪そうだな。大丈夫か?」 「平気だよ」 なんとか笑顔を作りこむ。…たぶん出来たハズだ。 「そうか?…ならいいんだけど」 「おうよ」 「じゃ、部室。先な」 品田は、一瞬顔を曇らせたが何も言わず、俺の頭を軽く小突くと階段に消えて行った。 「なぁ、本当に大丈夫か?」 ウォームアップして体を慣らしていると、品田が声を掛けてきた。 「大丈夫だって、言ってんだろ!」 「ッ、瀧本!!あのな!お前!!」 品田は、ただ心配してくれているのに、つい語気が荒くなって返事をした。 品田は、悪くない。 むしろ俺が悪い。品田の言葉に過剰に反応しているだけだ。 だから全く集中することが出来なくなる。 一体、何なんだよ…。 このイラつきを解消出来ない俺は、誤って飛んできたボールに。いや、周りの動きに気が付かなかった。 「ちょっ!!瀧本!!」 大きな品田の声が聞こえたかと思うと衝撃が肩口に当たり、バランスを崩すと共にゆらりと体が浮遊感に包まれる。 ゆったりと回る俺の視界は、天井とライトしかなく、同時にキュキュッとした音が大音量で耳元に流れ込んでくる。 「大丈夫か!?」 先輩の声が響く。…大した痛みを感じないが、倒れたらしい。 「コイツ、具合が悪いんで保健室に連れて行きます!!」 すぐに品田が、俺を起こそうとする。 「ちょっと、待て。吐き気とか痛みは?」 「たぶん…、大丈夫です」 頭部には、痛みも何も感じない。多少、肩や足にある位だ。 周りも俺の様子を確認してから手を借してくれ、ゆっくりと起き上がる。 「でもお前。肩やっているから、まず病院な?」 「はい」 「痛みが無くても行けよ。自宅近くのトコでも良いからな」 先輩の言葉を聞いて一瞬、先生の顔がチラつく。 「…はい」 「ホラ!!練習!!」大した怪我ではなさそうなのでスグに大きな声が響き、各自、自分の持ち場に戻っていく。 「瀧本。悪ぃ…」 肩を貸して立たせてくれた品田が、歯切れ悪く声を掛けてきた。 「違う…。俺が、だ」 自分の不注意で他人を巻き込むなんて、最悪だ。 しかも、いつもなら起こるわけが無い、他の事に気を取られて…なんて、最低以外の何者でもないだろう。 情けないの一言だ。 「悪ぃ…。じゃ…な」 俺は、品田を真っ直ぐに見ることが出来ず、そのまま体育館を後にした。 結局、俺は痛みがあまり無い事とかかりつけの病院が受診時間が過ぎていた事もあり、先生の所に電話を入れた。 この前の夜から、どうしても先生達の姿が見たくなくて、行きづらかったが…。 前にやった肩の事もあり、ドアを開けるといきなり「どうしたの!?」と、2人掛かりでとても心配された。 先生もいつもと変わりなく施術してくれて…いや、いつも以上に丁寧に診てもらったし、湯来先生もテキパキと立ち振る舞っていて、変わった所なんて欠片も無い。 帰る間際も「大変だから」と、親切にドアを開けてもらう位で…。 一体、どうなっているんだ…わからない。 家に帰ると制服もそのままにベッドに倒れこむ。 「疲れた」 ひどくジジむさい事を言いながら、それよりも自分の気持ち一つ整理できなくて、なんてガキなんだろうと改めて思う。 ヒントを与えてくれた友達に八つ当たりの形でしか気持ちを伝えられず、オマケに軽く怪我もして。 それでいて先生に会えて嬉しい自分がいて、湯来先生に気持ちを掻き乱されて…全てのバランスの差に苛立ちが募る。 クソッ! 今日の事を思い返しているうちに、こんなにも気持ちがグチャグチャになって辛かった。嫌だった。 こんな事で動揺して、どうするんだよ。 「もぅ、わかんねぇ!!」と、考えることを手放して、叫びだしたい思いに駆られる。 すごく好きだ。 好きだ。好きだ…。でも、言っちゃ…だろ。 俺、何を考えているんだろう…。 好きとか嫌いとか、そんな事で悩む日が来るなんて今まで思いもしなかった。 オマケにソレが原因でワケがわからないなんて、我ながら笑ってしまう。 はぁ…。 寝返りを打った所で微かに家の電話の着信音が聞こえてきた。 「はい…」 無視していたら、母親が出た…らしい。 暫くすると部屋のドアが叩かれる。 「ねぇ、カズくん。接骨院から念の為に明日、来て欲しいって」 はぁ?何、言っているんだろう。明日は、休診日だ。 「だって、明日は休みだって」 「山田さんも休みだし。書類の整理をしているからって。念の為に…って事みたいよ」 確かに山田整形外科も休診日だ。 「ふーん」 「じゃ、わかった?」 「あぁ」 「ちょっと!制服、脱いでから横になりなさいよ」 「うぅん…」 母親は、俺の生返事が耳に入っていないようで「やっぱり、ありがたいわね〜」と、しみじみ感心して呟いて姿を消した。 確かにありがたい。こんなに丁寧に診てもらえる所なんて聞いたことが無いよな。 そう思いながら、中途半端な状態でいるのがいけないのかもしれない。と、俺は、ぼんやり思いながら眠りの世界に沈み込んだ。 翌日、昨日言われた通りにいつものマンションの裏手へ回り、102号室のチャイムを押す。 「はーい。今、行きます」 やや暫くしてからドアが開くと、「だ…きもとくん?」びっくりしたように先生が、顔を覗かせた。 「あぁ。今日は、…成長期の子が来るって、瀧本くんか」 一人、合点がいったように頷くと、先生は招き入れてくれた。 「ゴメンね。連絡が上手くいっていなくて。どうぞ、こっちに座って」 「はい」 申し訳なさそうに言い、手近な椅子を勧めてくれた…と、いう事は、あの電話は湯来先生という事か。 あー…。先生じゃなかったんだ。 このガッカリ感は、何なんだろう。つまり、心の奥で先生だと期待していたと、いう事だ。 俺、重症かもしれない。 「………」 気持ちが言葉にならず、沈黙が降りる。 治療室は、いつもと違ってベッド周りのカーテンは開き、書類の束が受付中に散らばってパソコンが動いている音だけしかしない。 何か話さなくては…と、思いついた言葉を出す。 「あの。今日は…お休みじゃ?」 「うん、休みだよ。でも、日頃の溜まった書類の整理とか片付けとかね。一応、院長なんで」と、にっこりと笑われる。 「あー。…ちょっと、待ってね」 先生は、パソコンの画面に向かうとキーを叩く。 その姿は、カッコイイ。休みの日でも仕事がある…学生でなく、ちゃんと社会に繋がっている事の証明。 それは、やっぱり大人で何処まで行っても俺には背が届かない事を、遥か先を歩んでいる事を雄弁に語っている。 どんなに追いかけても敵わない。 ダメなんだな。 やっぱり先生は、「遠い存在なんだ」そう思った途端、目頭が熱くなってボロボロと泣けてきた…。 「え?瀧本…くん。大丈夫?ごめん、痛みがある?」 俺の異変に気が付いた先生が慌てて声を掛けてくる。 「違ぃ…ます…」 そう。違う。俺は、何が言いたい?先生に届かないから? 本当は、何が言いたいんだ? でも、それは言っては…だろ??その間にも涙は止まらない。 「大丈夫だから。…落ち着いて?」 優しく言われるとその分、更に気持ちが混乱する。 もう、ダメだ! 俺は、椅子から勢い良く立ち上がり、思いついた事だけを叫ぶ様に伝える。 「すいません!! 俺、帰ります!」 そのまま勢いよく入って来たドアへ向かう。 立ち上がった際に響く音なんか耳に入らない。 そんな俺の様子に驚いた先生が、慌てて声を掛ける。 「まっ、待って。…いや、待て!!」 ビクッと震えるほどの強い制止の声―こんな先生の声、聞いたことが無い。 振り返ると、ひたと真剣に俺を見る目…笑顔の時と違う桁違いの力強い表情だ。 また一つ、俺と先生との格差を嫌と言うほど思い知らされる。 「ッ、すいません!」 そう声を出すのが限界だった。…まだまだ俺は、非力なガキでしかないんだ。 そのまま俺は、振り返る事もできず一気にドアを後にした。 <<前へ |